2019.01.31
日本人の暮らしと住まいに学ぶ
 畳のある暮らし (前編)
 
学校の制服が夏物に変わりました。この時期、住まいの紙貼り障子や襖も、簾戸や簾障子に取り代わります。そして畳の表替えをしたり新調したりで、心地よく梅雨を乗り切り、夏を迎える準備をします。
そんな家がいまどのくらいあるのでしょう。
畳の部屋も少なくなり、畳替えのサイクルを守っている家もめずらしくなってきました。いまいちど畳のある暮らしを見ることにします。
畳屋さんは昔、畳大工といわれていました。江戸幕府には畳奉行もいましたから重要な職種です。城下町には大工町と並んで畳屋町がありました。
畳の厚さや縁の布柄が身分によって違う、座る人の格式を示す畳があります。有職畳です。座敷での所作があり、8畳・6畳の敷き込み方も結婚式と葬式では異なります。たかが畳ですがあなどれません。
まずは江戸時代、武士に礼法指南をした小笠原氏の大名屋敷に行ってみましょう。
池泉回遊式庭園に面した書院造りです。玄関を入ると、取次の間・二の間・一の間、さらに上段の間と奥へつながり、上段の間の脇に上上団の間(書院)と鞘の間(控えの間)があります。縁側の紙障子を簾障子に取り替え、夏姿となっています。主人と家来が和気あいあいと談論しているような光景が浮かびます。畳の上での日常はゆったりと物静かな時間が流れているようです。
今度は江戸の寄席をのぞいてみましょう。
落語「火除けの札」がちょうど佳境に入った所です。
「結構なご普請でございます。普請は総体檜造りで、天井は薩摩の鶉杢。左右の壁は砂摺りで、畳は備後の五分縁でございますね。お床も結構。お軸も結構。庭は総体御影造りでございます。」伯父さんの家の新築祝いでの口上を父親から教わった与太郎は、それをまる暗記していったのですが、なにしろ与太郎のことで「天井は薩摩芋の鶉豆」「畳は貧乏のボロボロで」などとしどろもどろ。客席は爆笑の渦です。
江戸の昔から畳の最高級品は備後(現在の福山市を中心として、広島県と岡山県をまたぐ地域)とされていました。ここで栽培されたイグサ(藺草)を手織りしてつくられた畳裏が上質なのです。畳は稲藁を何層にも麻糸で縫い込んだ畳床に畳表を木綿糸で縫い付けたものです。これに縁をつけます。その縁の幅を通常の半分の五分(約15㎜)にすると、寄席で聞いた与太郎の誉め言葉「畳は備後の五分縁」にかなう高級品となるわけです。
 畳表は薄い一枚のイグサの織物としても使われます。
ムシロ、ゴザともいいます。ゴザは古くは貴人が敷くものでしたから御座とも表示されます。ゴザは丸めて手軽に持ち運びができます。芝居小屋の桟敷席にはゴザが敷いてありました。桜の木の下での花見にはゴザが必要でした。昨今の花見はビニールシート、そして畳もポリスチレンを発砲させたスタイロフォームにゴザを張り付けたものに様変わりしています。
畳表となったゴザは2度つかえます。青畳が日に焼けて古畳の色になってくると、ゴザを裏返してまた縫い付けます。これを畳の表替えといい、2~3年ごとにおこないます。この繰り返しで畳屋さんに常連のお客さんができるわけです。暮らしの中に職人さんとの付き合いが入ってくるのです。
 
本稿は一般財団法人 生涯学習開発財団 発行「生涯学習」に、2013年4月から2015年3月までに連載された「日本人の暮らしと生活」を加筆・修正をして再録したものです。 写真・資料等は当方にて入れ替えております。

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